SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○日記○ すぷんへの課金

娯楽というか、このコロナ渦で、外に出ることが少なくなって、存外にお金を使う先が減っていたため、すぷんに対する課金への抵抗が全くない。

いわゆる推し活、推し事、状態である。

ただ、やってみて分かったのは、やっぱり、それらは、日々のストレスや鬱憤を晴らすための活動として、楽しまれるものであるし、その対価としての出費であると考えると、家計的には変化がない。

そうか、こうやって成り立つものなのか、なんて思ってみている。

ただ、金銭感覚の異なる人たちには圧倒される。

久し振りに「札束で殴る」という表現を自分でも使っていて面白く思う。

ただ、基本的な生活の成り立っている人がやるべきものであって、推しや応援したい人物にいくらも入らずに運営にだけ持って行かれる、課金は推し活としてはどうなんだろう??

もちろん運営があるからこその推し活かもしれないけれど。

ある程度は推しに行かなければ、それは応援といえるのかわからなくて。

少しばかり、気になるお年頃です。

数字というか、なんというのでしょう、あたしは目に見える状態でのキャッシュにこだわっている部分が合って、クレジットカードの類を持っていない。電子マネーの類もあまり使用しない。

実際に目に見える状態の方を好むからだ。

その方が気にかけて見ることができて、自分がどのくらいの財力を持っているかがわかりやすい。資産運用の方法なんてのは個人で違うが、「くるってるなーーーーー」「それとも本当に価値観が違うのかしら」となることが最近出てきた。

面白いもんである。

ただ、何気に8月以前よりは使う予定がなくなったので、少しばかり自分の実になるように貯蓄に回すのもありだなぁと思うのです。

 

はい。

そんなしりすでした。