SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

□記録□ブログを始めて1年

(2019年7月17日Facebookより)

 

高校生の頃、白猫と黒猫が独り暮らしの女の子と住む文章を書いた。長野まゆみの影響を受けて、2匹は夏至祭りにいく。
夏休みの宿題で書いた文章は、夏の白昼夢の文章。こちらは吉本ばななの影響を受けまくった。

大学生の頃、部屋の押入に「黒くて丸くて跳ねる何か」が住んでいる文章を書いた。猫を飼うように得体の知れない存在とスペースを共有する。たぶん、乙一の「小生物語」のソファーの少年に憧れたと思う。

社会人になっても文章を書いた。お気に入りは青い蜘蛛と女の子の話。レースを編む。糸へんの文字をたくさん使いたかったのを覚えている。確実に槇原敬之の「Hungry Spider」とCoccoの色々をファンシーにしたかったんだと思う。

大学の時の、半分フィクションな文章も好き。
懐かしい。
赤い飴ちゃんの話、電車での天野月子の曲の話、天文台に行った話。
高校の時の、豊かな発想はもっと好き。

今は、どうだろう。
どこまでいけるだろう。

書けるだろうか。

何か書きたい。

なんだか、最近そう思うようになって。

詩ではなくて、文章。
短くていい。
物語を。

この不安感をぶちまけたい。
昇華したい。

たぶん、ぐちゃぐちゃで、どうにかなってしまいそうだけど。

小川糸の「ペンギンと暮らせば」みたいなブログ日記のエッセイとか。

ごりごりのファンタジーでもいい。
でも、その素直さはもうないから。

知識もないから、ほしおさなえの「活版印刷日月堂」も、小川糸の「ツバキ文具店」も無理だけど。

何かどうにかしてを望むんだけど。

できるだろうか。

書きたいのは、そのまま、今の自分の苦しさと、日常と。
想像と妄想と、うん。
半分フィクションにしたい。
でも、苦しいを表に出したい。

続き物にするのか。

断続的に、別になにも気にせずにするのか。

どうしようか。
何しようか。

それを考えてる。

苦しいを、どうにかしたい。

 

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昨年の今頃は、ドクターストップによる休職をうけ、心のパニック度がなかなか高くて、泣き濡れていた。

溢れる不安感と孤独をどうにかしたくて、「今までと違うことがしたい」と考えていた。

 

どうやら、このブログを始めて1年経つことになる。

 

↓書いてみんとてするなり

https://shilisu.hatenablog.com/entry/2019/07/24/233850

 

初志貫徹とはいっていないことは確かだが。まぁ、やってみたらこうなった。

である。

 

残念ながら、「半分フィクション」はできなかった。

等身大すぎるブログだ。

 

まぁ、ともかく。

よく、この一年、生きてきた。

続けられた。

「なんとなく、毎日更新」ってのが基本になったが、それどころでなく楽しんだり悲しんだりで更新できなかった日もある。

はたまた、1日にいくつも更新した日もある。

 

それでいい。

 

Facebookでは出せない、Instagramともちがう、そんなことができた。

ありがたい。

 

読者数の少なさも、好きなところだ。

個人的すぎるかもしらん。

だけど、実は、登録されていない(数にのらない)読者がいることも知っているwww

(やぁ、姉上。いつもありがとう。妹は元気です※当社比)

 

おっと、、、1年経ったということは?

もしやFacebookにある詩は全部載せたのか?

あ、いや、ちょっと違うな。

わからなくなってきたぞ。

まぁ、すとれーじぼっくすだからな。

溜め込むことにする。

 

毒もたくさん吐くが。消されないことを願おう。

 

あたしは、いまのところ、なるべく続けたい。

続く限り。