SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

☆言葉☆人生の半分損してる

(2018年2月17日Facebookより)

 

好きにはなれない言葉 その何番目か

「人生の半分損してる」
じゃあお前の人生の半分はその物事かすげぇな。

これが食べ物だった場合、不機嫌が顕著。
食わず嫌いは納豆だけで、あとは試して苦手とわかってる。
そんで、それを食べる人に対して何も言わずに、違うものを頼もうとしているのに、上記の言葉を吐かれると不機嫌が火を吹く。
なぜ、苦手なものを、わざわざ自分のお金出して、わざわざ選ばないといけないのか。

そして、そんな回数ご一緒してないゴハンで、決めつけられる言い方されるのはカチンとくるから、これまた不機嫌が顕著。

そんな言い方していいのは、考えてみたら僕から個人的に連絡がへたしたら週一であるお友達 と、離れてても大丈夫だと互いに思っている友達くらいだ。
そんで、そんなお友達は、そういう言い方をもともとしない。から、お友達だ!!

いきなり主張したくなったから。してみた。

それくらいって意味だと言われても、あまり納得がいかぬ。
だって、美味しいと思ってないのに、食べた方がお口にとって損じゃん。
毎日それしか食べものないならそうかもしれんけどね。

 

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そのまんま↑なので、そのまんまのせました。

 

そして、「人生の半分損してる」とか言えるのは。

経験だと思うんですよね。

そう考えると食に限ってそういう言葉が出てくる人に対して浅はかだなと思ってしまうんです。

まぁ、食も経験なんですけど。

例えば「満天の星空を見たことないなんて、人生の半分損してる」「綺麗な夕陽を眺めたことがないなんて、人生の半分損してる」なら、納得する。

感動のひと場面として、心に残ってる素敵なこと。

「一見の価値がある」とか「経験していた方が良い」とか、そういう事柄に対して「まだ、経験してないなんて、もったいない」で発せられる「人生の半分損してる」ならば「そこまで言うなら、一度くらい経験しても良いかな?」って思える。

 

それを、嫌いだったり苦手だったり、アレルギーで食べられなかったりする食べ物とか理由があって避けているものに対して、発せられる「人生の半分損してる」は「わざわざお金だして再体験したくないし、なんならあなたにあげるわよ、そしたらあなたの人生半分いただける?きび団子じゃあるまいしね?」である。

 

ちなみに、あたしは、今の不安感爆発で抑うつ状態のため病休からの休職って体験。これは、やってよかった、なってよかった。きっと今だったんだよね、って事項だから。

休職してなかったら、人生の半分どころじゃなく損してたなと思うから。

 

いい経験しているつもりである。

だけど、周囲の皆に同様な経験を必ずして欲しいわけではないので。

それとこれとはまた違う話。

 

けど、今、近しい方達は近しい方達で、こういう状態なあたしに対しての接し方や考え方で、また、あたしとはすこし違う経験ができていると思う。

し、それで関係続けてくれるってことは、そういう意味で、有り難くて、大事で、大切な人として、関係を続けたいと思う。

 

なので、今回関係の切れた人は、残念なことに、もうそこまでなんでしょうね。

 

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金曜土曜と飲み会2日間。

土曜は相当、無理矢理に、外に出た。ワインのため。

そんで昨日と今日はひきこもるのである。