SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○旅行○記録 島とあたし

今回の投稿は、思い出話というか、回帰録というか、そういうものです。そういうのかもわからないですが。

 

あたしの母は、沖縄の離島出身です。あたしの記憶で合っていれば、あたしがあその島に行ったのは2回。何歳だったかは覚えていません。確か2回だと思います。

 

思い出として持っているのは。

 

父が砂浜から銛を持って沖に向かって泳いで行ったこと。それをあたしはさみしがって、父方の叔父が「おじさんの背中に乗っていくかい?おじさん亀の浦島さんだよ~」と全く波打ち際から動かなかったこと。それで、少しかんしゃくを起こしたような気がすること。

父が捕ってきた魚(↑の魚なのかはわからないです)を生きたまま捌いたら、心臓が動いたままで、「触ってみるか?」と聞かれ、ドキドキしながらその心臓を触ったこと。

母の生家の構造、生垣を入ると、赤瓦屋根に縁側と離れたトイレがあったこと。井戸があったような気がすること。床の間と仏壇と、土間があったような、かまどがあったような。でも、暗いところは一人では怖くて、本当に記憶が合っているかはわからない。

一番広い部屋と生垣の間に水仙が咲いていたような気がすること。とても大きなキノボリトカゲを見つけて追いかけたこと。

山のふもとのように見える場所の亀甲墓に行ったような気がすること。そのとき、山側から海を見たような気がすること。「沖縄の墓は西を向く」と教えてもらった気がすること。

母の生家の近く、角を曲がって少し行くとまちゃ~ぐゎ~(商店)があったこと。ラムネを買ったような気がすること。

母が幼少期を過ごした島の離島を見た気がすること。

寝るときには蚊帳を立てたような気がすること。

 

あとはわからない。この記憶も、すべてが合っているかはわからない。混在していて、このどれが、1回目なのか2回目なのか、本当に宿泊したのかなんなのか。全部全部わからない。記憶が合っているか全然わからない。

母との会話で記憶を修正していたり、勝手に作っていたりする可能性もある。でも。あたしの中の母の生まれた島の記憶はこれ。多分これが全て。

 

そして母は、島の話をするときに。決まって。

甘くて苦くて、愛しくて憎そうな、本当にいろんなことがない交ぜになった、苦しそうな顔をする。

でも、その分、母のしてくれる島の話はあたしには甘くて甘くて。とても甘くて。

 

中学に入る前から母に、高校から大学、母方の祖母を亡くすまで「また、連れて行ってくれ」と懇願した。記憶としてしっかり残したいから。あたしも母と同じものを見たいから。

母が幼少期を過ごした、島の島。サトウキビ。家。家の大黒柱。地区。小学生の時に貝を捕るために回り込んだ海辺の岩場。台風の時に風にあおられておちた田んぼ。水晶を拾ったという水辺。兄弟のこと。姉妹のこと。小学校。中学校。船着き場。親戚の家。見たいという風景。見たくないという風景。全て。

母が見たら思い出す思い出。全部、全部、見たくて聞きたくて。

甘いものも苦いものも、見聞きして、全て、あたしの記憶に刻み込みたくて。

 

でも、母には、辛い記憶とわずらわしい人間関係しかなくて。

甘く思い出して苦く苦しめられて。

あたしを連れて行くこと、自分が島に渡ること。この20年。嫌がって嫌がって。

祖母の納骨の時にも、あたしは留守番で。

 

それが、あたしがこの病気になって。祖父の三十三回忌で、祖母が亡くなって十年で。

甥にも見せたかったんだろう。姉も久しぶりに連れて行きたかったんだろう。

 

日帰りの、たった3時間だけでも、叶いそうだった。

 

やっと、あたしに「島に一緒に行ってくれんか」と母が言ったのに。

病気になりたてで、母と距離を取りたかった昨年末は断った。

「今更何を言う」「あたしが病気になったからか」「本当にお母さんは身勝手だ」「今、言うことなのか」

母を泣かせたんです。

 

それがやっとあたしも落ち着いて、姉も甥も一緒で、費用をすべて母が出すのなら。

行こう。

3時間でも。

きっとこれが最後の機会だと思うから。

当日調子が悪くても無理して。行こう。

 

そう思ったのに。

 

台風の影響で船が出ませんでした。自然って本当に残酷ですね。あたし、そんなこと言う暇なかったから。言わなかったけど。

母も姉も、特に母が辛いことも、姉にはそれが理解できることも。

 

全部わかってる。そのつもり。独りよがりだけれど。

 

けど、今、言えます。

 

「心から、悔しい」

 

もう本当に悔しくて。残しておきたくて。今これを書いています。

 

行けるのでしょうか。憧れのあの島に。

母の口から思い出話を、その場所で、聞ける日は。来るのでしょうか。

 

多分、その機会は失った。

 

口には出しませんが。

 

母さん、姉さん、ごめんなさい。あたしはもう諦めたかもしれない。

複雑な気持ちすぎて。もうわからない。

 

とにかく気持ちを書いて残したかった。