☆詩☆薔薇Ⅱ と家族の話?
「薔薇Ⅱ」
(2016年11月8日Instagramより)
触れてもいいの?
朝陽が君の頬を照らす
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1/9は朝9時頃起きた。
ら、Pokémon GOで欲しいポケモンが近所にいたので歩いた。2キロ未満だが。
昼に1食目を作ろうとしていたら、父親から電話が来た。
漁(いざり)の誘いだ。
23時頃に出発らしい。
「どんなか?行けそうか?」とすこし頼りなげ(心配そう?)な声で聞かれた。
「行く方向で準備すっさ」と答えたついでにすこしだけ「ウェダーが入るかね、デブぅだが」「わからんなぁ、Lサイズが一番大きいが(笑)」「まぁ入れるさ」と言ってすこしだけ心を和ませてやった。
そう、先日のカウンセリングで、「夜中3時に酔って泣きながら電話で『6月まで休みたい』と、母に電話したあと、母が止めるのに『母さんが嫌がっても電話するんだ、ちぃち(父のこと)にも言う』とこれまた泣きながら電話して。前に比べたら、父親に電話して、きちんと報告ってしなかったから、それをできてる、あたしったらえらい。2日後に『夜中に双方に電話して、次の日の君たちの雰囲気が悪くなってないか、心配だが』と母に電話はかけるんですけどね(笑)」とまくしたてたら。
「SHIRISUさんが、SHIRISUさん自信に対して、『えらい』って言っているのは、良いことですし。お父さんはやっぱり、何でも最後は味方になる存在なんですね」と言われた。
そう、、、母とは対立というか、喧嘩が絶えない。常にライバル的な存在だ。
それで育ってきてしまっているし、似すぎているんだ。ただ、あたしは父にも似ていて。怒りやすい。
それに、考えたら、もともと、実家で一緒に過ごす時間は非常に少なかったのだ。
小学生のとき、多いときには習い事を週に5つ。
多い日は1日に3つこなした日もあった。
それが小学5年の夏から、学習塾1つになって。
完璧に受験生を小学生からやっている。
受験生エリートだ。(5年前まで年に一回は受験してたわけだし?すげぇな)
中学でも変わらず3年間受験生。「今日は早く帰る」と電話して母に嫌がられる。「塾の自習室行って宿題して帰ってこい」と。塾の授業のない日にだ。塾長が「俺、自分の娘より、SHIRISUに会ってる時間が長いぞ」と言われた。「先生、大丈夫、あたしもだから」と返した。
高校3年間も同じ。むしろ、それまで以上に家に居なかった。「予備校いってくる」とだまくらかしてカラオケやビリヤードにも行ったけれど。(むしろ高3が一番遊んだ)
実家には基本「寝に帰る」。
土日もずっと。ほとんど常に。小学生は塾の合宿は全て参加。土日も塾の特別授業か、自習。中学もそう。高校の予備校は毎日。
その生活を作り出した(寄せていった)のは母だ。
大学は県外に行き。寮生活と一人暮らし。
沖縄に帰って実家で過ごしたのは1ヶ月。
たまたま5月から仕事があって。車の免許がなく、引っ越して以来一人暮らしで仕事して。
実家近くの職場では、実家ではなく離れ(今は賃貸になっている一戸建てが母屋から50歩以内にある)で2年1ヶ月暮らした。
そこからさらに引っ越して、今4年目だ。
電話はよくしたし、実家に顔も出すし、泊まりもしたが。
一緒にいる時間は短い。
顔を合わせて話して、喧嘩をして(本当に大喧嘩だ、言葉と言葉の応酬)も、結局は母の(涙に負けて)望む道を歩いてきて。
思考回路も「人間、生活のためにはガンバらなきゃいけないんだよ」「でも○○しないといけないんだよ」「それが常識だから」が刷り込まれている。
で、いろいろ抱えて、心疲れちゃった。
考え方の根本を変えようとカウンセリングに通い。(「カウンセリングに通うってことは病気ってことを診断されるってことだから、ガンバってほしいから、病院には行かないでほしい」なんて泣いて言われたこともあるなぁー母さんそれは未だに思い出すと辛い言葉だなー)
今。
やっと、反論(これはできてた、喧嘩してるからね)からの、実行(これができてなかった)である。
「あたしは、あたしのやるようにやる、あんた(母)が泣いても、やる。あたしの人生だし。決めたから、やる。」で、本当に実行している。
『父に電話する』も実はやっとなんだ(笑)
「なにも言わずにやればいい」は、御法度。
それは母が壊れてしまう。
かれこれ1年以上かかって、やっと互いに歩み寄れている。
これに関しては姉には苦労かけた。
姉が根気よく母に言葉をかけてくれたからだと思う。
そう、あたしの病休や休職も、父はいつも蚊帳の外で、女だけで話が進んでて。これも母の意向だったが。病休も休職してるのも、一時期は秘密だったんだ。
「父はそんなに頭悪くないし、心も強い。あたしは全部、父に話す」と説得して、やっとふみきったんだ。
以来、父も勉強したのか、まぁ娘のこれからの人生もあるし。もとから末娘に優しい男だし。(父はうちの女は全員に優しい。姉はやりあったこともあるようだが、あたしは手を上げられたこともない。1度だけ父はイライラを隠せず「バカタレ!」と電話口で言ってしまい「あたしにバカタレだと!ふざけるな!」と末娘に電話口で怒鳴れるくらいには、日々ベタベタに甘々である)だいぶ、寄り添ってくれている。
まぁ、今日はここまでにして。
だいぶプライベートを暴露したな。
まぁいい。
そんな訪問客のあるブログじゃないし。
本人がさらしてるし。
個人的な知り合いはほとんど知ってることだしね。
あぁ、最近聞く『毒親』という言葉がある。ここまでつらつらと書くと、その手の話と思われるかもしれないが。
うちの親はそうではないと思ってるよ。心から。
あくまで母は『戦友』だ。
あたしの人生を彼女なりに考えて、互いに歩んできて勝ち取ったものばかりだからね。
戦いすぎてまじで動けなくなったから、休憩しようって。
やっと、兜を脱いだのが今なわけだな。
鎧はもうすこし時間かけてかないと脱げねぇ。
脱いだら、また新しいの用意して着るからさ。
今、着脱しやすい兜と鎧を作ってんだわ。
んー、けっこうしっくりくるなー。この表現。
父に誘われたら、行かないわけにはいかない。
ご直々のご連絡やしね。
薬飲んで昼寝して。
起きてこのブログ書きました。
さて。
ちょっと不安感はあるので。
準備しつつ、お薬飲んで動きますかね。
後で書きたそう。
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とりあえず、23時に出発。
帰宅は2時だったか?
コマ貝だったな?ティラジャーというのだけど。
あと、シャコ貝。
高瀬貝だったかな?さんかく。
あとイイダコと言ったか?しがやー。
あとは、ヒージャーは何て言うんだろ、水字貝の、半分みたいなやつ。
珊瑚が増えていた。
うれしかった。
あとはオコゼのちっちぇーやつと。
ハナミノカサゴのちっちぇーやつと。
マダコのちっちぇーやつ。
マダコのちっちぇーやつは「かぁさん、これはタコだよね」「いや?」「いや、マダコのちっちぇーやつ」「ほんとだね、マイナスドライバーで刺すか?」「いちおう銛だよ」「ちぃちー!!銛!!」「は?タコじゃないよ」「いや、タコだろ」(父が銛でつつく、タコ穴にはいる)「俺がマイナスドライバーで刺せばよかった」とぶーたれる母。
今回はタコはあたしだけ。
両親も疲れてるがあたしも久しぶりで腰が痛い。
んでも楽しかった。