SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

☆言葉☆「信じてる」と言う、無責任。

最近、職場で耳にして、思わずメモをとった言葉だ。

 

いわゆる、教職員としては、この言葉は重い。

 

どこがどうー?というといと。

つまりは、

「信じてる」と生徒に言うだけ言って、生徒の日頃の行動、言動、人間関係、その他に一切関わらない、一切気に掛けない、という、教職の風上にもおけない、非常に無責任な状態をつくる。

というようなことだ。

 

生徒が何かしら失敗したとき、教職員が「信じてたのに」と勝手に落胆しても、信じていただけで関わりをもたずに無責任に過ごしていたのはその教職員の方だということ。

これが「あー、やりそうだなーと思ってたよ、でも勉強になったな」「努力してたのになー」と一緒に落胆して「次どうするか?」を話し合えてこそ、責任をもって、その生徒を含めた周囲を『教育(教え育む)』する、している、教職員といえる。

 

ひじょーに響いた。

教諭(臨時だったが)から実習助手(本務 )になり、生徒との関わりは多少変わったが、責任はある。

あたしが責任とれないことは安請け合いしないし、距離の取り方を考えなければならない。

 

「信じる」と(生徒に)言う、無責任。

 

ホントに、そうだ。

ある意味「信じてない」と言った方が正直だし「ちゃんと見ているよ」という意味になる。