◯日記◯2018年10月14日Facebookより
森見登美彦
「太陽と乙女」
読み始めて「あぁ、久しぶりに来たなぁ。」と思った。
「自分も無性に書きたくなる系」の匂いがする、私的には触発系のテイストがぷんぷんする。
乙一の「小生物語」もそう。こちらは、エッセイではないけれど。
しばらく前にFacebookのノート機能で、「手記」ってのを1~7まで書いたけれど。
あの「手記」を書きたくなる感じ。
自分にフォーカスして、自分にとっての何かを語りたくなるのね。
ちなみに、手記を探してみてみたら。
「珈琲と紅茶について」「旅について」「男に生まれていたら」「リバジ(リット、バロン、ジンジ)について」みたいなことが書いてあった。
最近の詩や文章はFacebookではなくて、ほとんどInstagramに貼られってけど。
ここ数週間、思うように投稿できずにいる。
浮かばないのね。
今月頭に「詩について」考えて話す機会があって。
ただでさえ、感情の露出であったり、捌け口であったりする、「文章を書く」って行為について持論とまでは言わないが、自分と詩、について考えて話して。ぐるぐるして。
おかげさまで。
「書く」ことについて考える機会になり。
書こうとして、書けない。
打とうとして、打てない。
意識しすぎて、おかしなことに(笑)
そう、何も打てない。
浮かばない。
なのに、ここで、来てしまった。
「太陽と乙女」
題もいいが。
相も変わらずの森見登美彦調よ、あの流れ。
最後に「○○は△△なことなり」「~は□□□なのである」ってなるようなね。
いや、あたしはそんな書き方にはならないが。
いやぁ、もう、ジレンマ。
書きたい!書けない!
打ちたい!打てない!
ペンにするか?
タイプにするか?
そして、気づく。
ガラケーに戻りたい!!
ボタンをプッシュして打ちたい。
かといって、スマホでそれができないわけではないよ?
だけど、あの右手に握りこんで、ボタンがどこにあるかわかる状態で、机の下で(ここ重要)、ノールックで打って、で、ちらって横目で漢字変換を確認して。
っていうのが、原点。
いやもう、マジ。
ガラケー。
ほしぃー。
ま、ツールの有無に逃げて、整理できない頭を正当化しているだけなのだけどね。
書きたくて書けないのは、全く関係ないのである。
あの頃は良かったなどと、過去を振り返るは、恐ろしきことなり。
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感情の振れ幅が少し狭まった分。
薄く長い柔らかい不安感に何重かに包まれている日々を過ごしている気がします。
陽の照りながら雨の降る中をガジュマルのしたのベンチで雨宿りしていて、出るに出られない。
今、この瞬間と同じ。
ホントは外に出る気なんてなかった。ちょっと、歩こうかなってくらい。ポケモンGOのミッションこなそうってくらい。
それが、今はガジュマルの下から出られない。
この2日、いや3日かな。頭痛に悩まされて。
気圧なのか、肩凝りなのか、病気のなんかなのか。
で、こういうときに思う。
「なんだ、案外しっかり戦ってるのね」
病気と戦ってるのね。あたし。
なんだかんだ、叫んだって。
やりたいことやるべきです。
明日はマッサージの予約をいれました。
きっとまた寝る姿勢を注意されるのでしょう。