☆詩☆無題 と最近の読書スタイル
(2016年12月3日Instagramより)
山の向こうの空遠く
幸い住むと人の言う
遠そうで近く
高そうで低い
降り注ぐ陽の光と
踊る朝露
小さくて大きな幸せ
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本を読みつつ。Pokémon GOで、おこうで一時間、ポケモンゲットしつつ、ポケストップ回す。
大好きジャンナッツのアールグレイ(トワイニングのレディグレイでもいい)をアイスにしたもの、もしくはこだわってしまったカフェオレを飲みながら。
これが最近の読書スタイルである。
ベッドに寝転がると寝てしまう。ので、基本座っているか立っている。
ちなみに、本を読みながら料理だってつくる(包丁使う以外は)。
Pokémon GOが部屋で歩いてたまご割れることが確認できたので、それこそポケットにスマホいれて、本読みながら、部屋をぐるぐるするのも辞さない(ただ、ぐるぐるがすぎるとフラフラする)。
あとは、半身浴しながら本を読む。
下手したら、活字は呼吸と同じ。
あ、呼吸で思い出したけど。
うちの母に「お母さんにとって、お父さんって何ね?」って聞いたことがある。
「空気みたいなもん」とのことで、なんだ、案外普通なこと言う。と思ったら。間髪いれず。。。「居ないと息できない」とのこと。
んーでたな!ラブっプルめ!!
末娘、びっくりしたわ!ん、よし、置いといて。
考えれば考えるほど、小中高大とあまり家に居なかった(習い事に塾に予備校に県外)あたしだけれど。家でしていたことを思い出そうとすると、決まって、片手に本である。
漫画もゲームも禁止だったので、ひたすら、本である。
ご飯にも降りていかない。ソファーで横になって本を読む、寝る、起きる、本を読む、母に怒られる、反抗する、移動して本を読む。ごはん食べながら読みたい読みにくい。
登下校も本。行き送ってもらう車の中は歌うか本を読むか寝るか。帰りのバスは本を読むか寝るか。
活字!活字!活字!
幼少期、本は読んでもらうもの、しかも、父に読んでもらうものだった。それこそ父はあたしが寝入っても「まだ耳は聞いてる」と一冊終わるまで絵本を読んでいたらしい。父が出張で家をあけるときにはカセットテープに絵本を録音してそれをあたしは自ら聴いて寝ていたらしい。自分で読めるようになっても、すべての台詞を覚えてもだ。母が読んだら「ちがう」とのことで、カセットテープを所望したらしい。
小学生低学年は児童文学どっぷり。あ、まぁこれは未だにだけど、実家の自室は児童文学の宝庫だ。「先生たいへん事件です」と、あーなんだったかな、自室にはまだあるんですが。愛読書がありました。とくに「先生たいへん事件です」は好きでした。あと「エルマーの冒険」シリーズですね。「天才えりちゃん」シリーズとか、「はれときどきぶた」とか。
小学4年で、姉に古本屋で赤川次郎の「三毛猫ホームズ」を勧められて、読んで、小説にはまる。そこから、きっちりライトノベルもある程度読み込んで。あとは上橋菜穂子、荻原規子。それぞれシリーズはほとんど。
中学高校では、ハードカバーの児童文学。ラルフ・イーザウの本やその他海外児童文学、ハリー・ポッターにはまる。あと、欠かせないのが長野まゆみ、吉本ばなな。
大学から今までは、そこに加えて、たくさんの作家さんの本があたしの「開かずのSHIRISUの部屋」にはある。乙一、坂木司、小川糸、梨木香歩、高田大介、高田崇史、森見登美彦、有川浩、浅田次郎など、など、など、あげるときりがない。
ここに、高校生からは「自分の小遣いでなら、漫画買ってよし」とのことで、漫画が列なっていくわけだ。
本棚は基本作者別。ちなみに長野まゆみと吉本ばなな(現よしもとばなな)は、特別棚だ。
で、年々増えるわけで、毎年部屋を整理しなければならない。本来なら。
まぁ、引っ越しの度にというか、引っ越したあとに増えたやつをそっと置く、とか。
そんなことしてたらね、床がね、もう踏み場ないからね。
ほんとは民泊のない、今だよね。今、片付けにいくべきなんだけど。
あはははー。
ということで。
活字は呼吸。
ないと、死んじゃう。
結局、漫画も活字を追う。
動画はおいといて、あ、でもけっこうテロップ出てるやつが好き。そうね、洋画は字幕が好き。日本語吹替にしても日本語字幕をつけます。
邦画は音楽のように楽しみます。
で、ふと、このブログもそれで続いてるのねー。となる。
Facebookは知り合いだらけ。で、詩を載せるのを止めた。
Instagramは、写真と合わない詩を書くのがめんどくなった。
ブログは両方で、Facebookと使い分けができるから、続いてるのか!
と、思い至った。
そして、つらつら、Facebookで書かないようなこと書いてる。
不安感が強くなったりですごい暗いのとか、日常のありきたりなことも。
で、やっぱり活字は呼吸。
書くこと、活字におこすこと、で、だいぶ、不安感も落ち着く。
読み返して、立ち返って、戻っておいで、うんうん、わかるよ、不安なんだねぇ。
ってなもんである。
そしたら、その活字に溺れることのできる書籍。本のなんて、必要不可欠なことか。
特にこの、コロナウイルス理由のひき、、たてこもりには、活字の存在のなんて素晴らしいことでしょう。
読書できるは、素晴らしきことかな。
さて。4/12のことは、いつ投稿するか。
まぁ、どちらでもいいか。
興がのったら。