SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○記録○父との電話

父は、体内の水分をうまく排出できず、肺に水がたまったらしい。

どうも、話をつなぎ合わせると。そんなようなことらしい。

で、苦しかったのか、倒れたのか、それはいまだに教えられてないが、救急車に乗せられたようだ。

 

結果、そのまま人工透析のための手術をすることになり、そのためにはお見舞いにも行けないまま、彼は腕にシャフト(人工透析のための、えーと、装置?)を導入して、安定してからの、退院。

そこまで会えないと。

 

一応、曰く。

「一般病棟に移っているから、安心してください」とのこと。

 

ゆっくり養生しなさい、よんなーよんなー(ゆっくりゆっくり)だよ、電話はとれるようにするからねと伝えた。

 

ら、母から電話がきた。

「お父さんとは連絡とっていますか」とのこと。

 

心の中で、あなたに聞いても、何もわからないならねと、辛辣に思いつつ。

「はい、彼が話してくれた範囲でしか知りません」

と答えた。

「お前はあてにならないからな」という気持ちがわずかでも、つたわるといい。

 

頭の出来というか、大学で化学なことを学んでいる上に研究室がバイオ系だったので、軽い説明と、自分で調べることで、大抵のことは理解できる。

これはあたしの利点。

その上で、説明やらなんやら、一番理解できるのはあたしなのにね、というのが感想だ。

母と父の話を総合的に聞くより、あたしが医者に確認したいくらいだわ。

 

母はあたしの、不機嫌を察知して早めに電話を切ったが、切りながら、小さく文句を言っていた。

今回ばかりは知るか。

全身全霊込めて『知るか』である。

 

相当なファザコンであるあたし。

いまだに機会があれば腕を組んで歩くことも厭わない。

一緒に釣りにも行きたいし、畑仕事も手伝いたい。

なんだってする。

 

今回ばかりはなかなか大がかりだから、許せない度合いが大きい。

あたしの、器が小さいのだろうか。

 

よくわからないけれど。

 

昨日はお隣おねぇさんに付き合ってもらってコーヒーを飲みに行った。

話した。

お隣おねぇさんも母にドン引きだった。

だよね?

とおもぅた。

ま、姉にたいしても思うところはあるけれどね。

 

『事後報告ほどあたしが怒るものはない』

 

これ、知ってるよね??

である。

 

まぁいいのである。

母とか通り越して、父と直接連絡を取る。