SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○論○「事荒立て主義」

自分に対して「狂犬」という表現をよく使う。

 

権力を笠にきてかつ、事を荒立てない、角を立てないように行動する、そんな目上が居て、意味の通らないことを言い始めるとすすんでかみつきにいく。

もちろん、この人の翼の下ならと、守られたいだけ護られる行動もとるが。そういう先輩は少ない。そして、そういう先輩方は、あたしが狂犬になる瞬間に居合わせると「どうどう」と本当に皆、同じなだめ方であたしをなだめる。そして、そういう先輩方にはあたしも「だって、、、」と言いつつあげかけた腰(または手)を戻す。

ただ、時には、先輩方も「いいぞ!やれ!」とあたしに声援を送るときがある。

 

そんなときは「ちょっと、いってきます」と、歩いていった先でたいてい「すいません、ちょっとわかんないんで、教えて欲しいんですけど」から始まり、相手の考えと理屈を聞いて、私的な解釈と持論を展開して「~って考えるんですけど、どう思います?」と聞き、最終カードは「わからないけど、わかりました。確認なんですけど、それって、職命(職務命令)ですか?」(←禁句)と言う。

そして、職命ならやらなきゃだから、不満だけどやりまーす、と意思表示をする。

ミソは、きちんと相手の考えを引き出すことだ。

本気の狂犬の時は、下から掬い上げるように相手を見て「そうですか?」とたずねる。「いや、もう、理解できないんですよね?」「この文章(資料)なんですけど」とピンポイントで確認である。

 

今回の「復職支援プログラム」「慣らし勤務」ではだいぶかみついた。

からの、今日、改めて、マッサージ兄ちゃんに話しつつ、出てきた言葉は「後の人のために」だった。

 

制度の存在意義や、ある立場の仕事、その他。

目上、というか、上司は、、、目下、というか、部下のために。

という考えが大きい。

 

「好きなようにやりなよ、信じてるから、最後は自分が謝ればいいからさ」という上司に働き始めで出会ってしまって、幸せで、そういう意味で、最近出会う上司のポンコツっぷりに、目眩がするときがある。

 

今回、「慣らし勤務」を通したとき。

上司から出た言葉は「通るんですねぇ」だ。

正直に「いや、『通るんですねぇ』ではなくてですね、制度としてあるわけですし、はなから申請しないって選択肢をすすめられるのは、意味がわからないんです。今後、あたしみたいな病気をする職員(ひら)に出会ったときに『難しいと思います』と決めつけずに、まず、通せるようにと申請する動きって大事ですよね?すごいですね、と感嘆するんではなくて、今後もこの制度が活用できるように働きかけていかなきゃですね、ってのが○○(上司の役職)のお仕事なんじゃないですか?」と伝えた。

「そうですねぇ」と暖簾に腕押しだ。

 

わぁ、手応えがない。信用ならない。

 

「板挟みなのはわかりますけど、為さねば何事も成りませんからね」

「『前例がない』のは初めての事なら当たり前 」

「やってみなくちゃわからない、やってみよう、大○学実験で」

 

結果が出なけりゃ、方法か仮説が間違ってたんであって、開けてみなきゃ箱の中の猫。

 

休職あけて復職して、仕事と距離をとっている、それでも「ん?」となることは多い。

けど、全体的には「後の人のために」である。

先達は後から来る者のために、どれだけできるか。

あたしは箱を開けて、中身を知らせたい。

 

おかしいことには、おかしいと。

角を立てる。

事を荒立てる。

狂犬、牙をむく。

 

なんでもかんでも「なぁなぁ」「まぁまぁ」の事なかれ主義は嫌い。

どちらかというと、たくさんの意見や考えを聞きたいから、よく考えなきゃならないことほど、事を荒立てることも手段として必要だと思う。

どんなに事を荒立てても、牙をむいても、誰も死なない。極論だが、それが一番。

「死ぬこと以外はかすり傷」とは言うけれど。そうなのだ。「とにかく地球は回るから」である。

 

踊る阿呆に見る阿呆

同じ阿呆なら踊らにゃ損損

 

事を荒立ててもいいと思う。

それで前向きな意見や新たな側面が見えてくることが大事。

 

狂犬、自分を正当化する、の巻。