SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○記録○慣らし勤務1週目を終えて(追記した)

生き抜くためには息抜きと、多少の諦めが大事。

 

気づくのは、人はあたしが思うよりもわがままで自分勝手で、フリーダムということ。

 

そして、「これは自分の仕事、あれはあの人の仕事」と分けられる人は、私的には正直、迷惑だし、周囲が見えてなくて「自分の仕事以外へ寄せる波」に気づかない。

(いや、それはあたしの仕事じゃないけど、あたしに押しつけて定時で帰りやがったなお前、ってなもんだ)

これが所謂、あたしでいうところの「共感の心の半径」が“短い”人。

あたしはおそらく“長い”。

だから、「あぁ、あの人のあの仕事の速度だと、次に控えるあたしの仕事に波が寄せてきて、忙しくなっちゃうっていうか、もしかしたらあたしの仕事が失敗しちゃうかも、、、言葉かけようか」となる。

で、今までのあたしだったら、やらなくていい仕事を抱えてしまう。

で、周囲の理解ある人から言われるのは「いいよ、何も言うな」である。

けど、言わない方が気にしちゃって気に病んじゃうので、ズバぁって「あたしは言いましたよ、でもあたしの仕事ではないので、申し訳ないですが、手伝い(え)ません。ただ、伝えましたよ、見えていないようでしたのでねー」と笑って帰るか別室へ逃げることにした。

そして、案外、共感の心の半径の短い人たちは、そんな言葉も気にしないというか、気にならない、だから気づけてない(周囲が見えていない)ということをやっと理解したし、「前段階の仕事ができてないので、あたしができないのは当たり前なので、ごめんあそばせ」とあたしは言っていい。

 

そして、そういう人(共感の心の半径が短めの人)の方が世の中には多い。

生き憎さは、生き辛さ、あたしは長かった。

「もうちょい短めに、ではなく、極端に短くして、生きやすい半径の長さを調整しよう」である。

 

まぁ、あたしは視野は広くても、まだまだ考えが浅かったり、感情的だ(感受性豊かとも言える)。そして、ここで厄介なのが沸点が低いということ。

けっこうな頻度で怒っている。

愚痴を聞いてくれるお友だちに感謝だし、こうやってブログに書いて気持ちを整理する。

最近はそんな感じ。

もうちょい上手くできるように、である。

 

読み返すと、「あたし仕事できます」風に読める。

わからない。その評価は周囲の下すもの。

でも、興味のあるものや心に留まったものは、端から覚えているタイプ。

そして「発つ鳥、跡を濁さず」が主義。

あと「SHIRISUのいる(居たとき)の職場の雰囲気は良かった」と言われるのが常に目標。

だから、周囲を観察して、仕事をシステマチックにするのが好きだ。職場が楽しいことが一番だ。けど、今回の職場はそうもいかなかったけども。

 

ちなみに、記憶の仕方は場面記憶(エピソード記憶?というらしい)だから、興味のない事柄は一切覚えないけれど、気になったことや少しでも面白かったことはすごくよく覚えている。

「Pokémon GOってその場所の天気と連動してるんですか?」って後輩ちゃんと話したときに、「それ前も言ってたよ」「そうでした??」「うん、あれだ、飲み会に遅れて行ったとき、雨で、、、えっとAさんとBくんに、あたしと後輩ちゃんとー、、、Cくんとでー○○の2階にあるお店に飲みに行く途中、雨が降ってきてさ」「よく覚えてますねー!」「うん、よく『気持ち悪い』って言われる」ってなる。

本を読んでいて心に残った文章は、ストーリーのどこにあったかとか、右ページか左ページのどっちだったか、ページの前半か真ん中らへんか後半かは覚えている。

人の家もたいてい一発で覚える。けど、案内する人が必ずいる道は一切覚えない。

 

だから、去年の□□はどうだった?と聞かれても、興味のないことは「あー?」ってなるけど、僅かなとっかかりでもあれば、ベラベラとその場の流れから発言まで記憶が言葉になって出てくる。

なのに、最近は、ご病気の症状も相まって、言葉が出てこなくて、少しパニックしたり、怒りっぽくなったりする。そして、話題も飛ぶ、飛躍的に飛ぶ、今みたいに。

あたしの記憶とか主義とか、どうでもよかったな。

 

とりあえず、は「慣らし勤務」を3日終えた。

 

うーん、先日仲良しおねぇさんとお話しした「管理職になる人」「管理職にならない人」は、そのうち書いてまとめて、うんうん、そうだそうだ!しよう。

 

とりあえず、は、1週目、お疲れ、あたし。

 

半影月食ですね、時間忘れました。

もう終わってるかしら。