○論○「共感の半径の長さ」(ちょっと追記)
バズってたツイートのまとめを読んで、すんごい落ちてきたのね。
気になる人はどうぞ、「共感の半径の長さ」で検索してみてね。
すぐにまとめ記事が複数出てくるよ。
全文読むと、あたしはすごい腑に落ちたよ。
まとめをまとめると(笑)
人は、外の世界に対して共感できる半径をもっていて、その半径内の出来事に対して、人によっては考えすぎて心に影響が出てしまって心身ともに調子を崩す可能性があるよ。ってこと。
それで、最近のコロナウイルス云々で、悲しいこと苦しいこと、あまり見たくない感じたくないような事象が増えているから、今は、心の半径を、意識的にいつもより小さくしてみよう。
そしたら、少し楽になるかも。自分を大事にしましょう。
ってことです。
でね、勝手に気づいたの。
あたし、もともとこの共感の半径の長さが、きっと人より長いんだわ。
もともと「感受性が強い」「アーティスティック」「周囲を気にしすぎ」「いろんなこと考えすぎ」と同じくらいに言われるのが「共感力がある」なんです。
で、このまとめを読んで。すんごい、腑に落ちたの。
沖縄県では毎年ある慰霊の日や終戦記念日の特集、震災の特集、洪水の特集、全部無理なんです。テレビ見ていて「うわー!!」と叫び出したくなるんです。
殺人事件、芸能人の不倫、だけでなく、○○24時とか○○最前線とか、繰り返される人の口論が苦手。ディベート大嫌い。
つまり何かっていうと、情報番組が苦手。選挙も実は苦手。選挙カーは嫌い。
もはや、人狼ゲームも苦手。(論点のズレた会議も苦手、ホントに頭抱える。一対一の話なら大丈夫、人がわさわさざわざわ喋ってるのがダメなんだろうと思う)
そしたら、何よ、だけど。
生活に情報必要だから、ニュース見るけど、下手したら心病む。
それこそ今は、GWの沖縄への渡航者数云々のニュースのコメント欄みて凹む。
それが引き金になって不安感で胸が痛くなる。
でなくとも、LINEのやり取りでそっけない反応やら、ちょっとした注意みたいなのを受けると言葉の裏を自分勝手に読んで、自分勝手に凹む。
それが引き金になって不安感で胸が痛くなる。
それこそ本読んでて、激しい口論の場面では一度本を置くくらい。
バカみたいだけど、すんげぇセンシティブみたい。
普段はそれに「やだ♪あたしったら繊細なんだから☆」って加えて言うけど。これも、おちゃらけて言って「だからって気にしないでね」とか「あたしってばおバカさんだから」って、周囲に気をやってるんだよね。
あたしが一人、ピエロになればすむことならばって。
一人で背負いこむっていうか、なんていうか、なんだよね。
それこそ「今まで注意してなかったんどけさ、、、」で注意されると、今まで不快な思いをさせてたんだ、、、とすごい気に病むんだよね。
休職中の職場の情報聞いて「今それどころじゃない」的な内容が返ってくると、あたしは今、職場のこと何も知らないし、邪魔して迷惑かけて、しかもそんなこと気にして、っていうかこんな時に休職して、って戻れないとこまで思考が派生するんだよね。
で、このまとめに戻ると。
(゜-゜)(。_。)
あ、そうか、あたし、共感の半径の長さがすごい長かったのね。
(。_。)(゜-゜)
うん、やっぱりそうだ。
(・_・)
だったわけ。
で、この休職期間、今「共感の半径の長さを意図的に短くする“練習”」のところまでやっとこぎつけたくらいなのよね。
只今練習中。
昨日、それにちょっと、しくった。
失敗して、テンションすげぇ下がった。ら、ヤンキー兄ちゃんとこの動画で救われた。
ただでさえ、半径を短くしなきゃの練習中だから、もっと短くしなきゃ。
あぁ、でも、もちろん、他人はどうなってもいいなんてそういうことではない。もちろん違う。
んでも、こちらから連絡しなきゃ驚くほど職場の情報はないから。復帰して「こんなことになってるの?」っては実はマジで辛いのよね。一気に情報入ってくると苦しいから。
調整する(連絡する人選)のは難しい。
ま、そのために復職支援があるんでしょうけど。傍目から見たら、元気だろうし、元気に振る舞うのがあたしだから。復職支援中も要は練習だから。
だから、情報は必要だけど、もっと自分勝手でいい。
プラスになることはしても、マイナスになるだろうことまでは気にしないを努める。
まだ、努めることしかできない。
努めてるだけで、偉いと自分をほめる。
そんで、もともとの昨日のあたしより、昨日をサバイブした今日のあたし。
やっと。ここまできたからね。
ガンバりすぎないを努めろあたし。
云々、云々、云々。
共感の半径の長さを短く。
只今絶賛練習中!!
ちなみに、人によってはじゃあ貴女は(誰かに対して)どうしてるの?的なこという人がいる。
あたしは、曰く、辛辣な(もしくはきっぱりとした)言葉で伝えるか、事前に断ってるか、先回りしてこなしてるか、自分が楽なようにと動く。
そんで、理解しているのは、こういう考え、というか、共感の半径の長さになったのは母親の「それが常識」「ガンバらないといけないんだよ」「でも○○しないといけないんだよ」「それが親(子ども)だから」が身に染み付いてるから。
で、その身に染み付いたものを拭ったり、両親に伝えたり(話し合ったり)、は済んでる。
もうやった。
その上で練習中は未だ練習中だし、乗り越えるべきは乗り越えたし乗り越えてるところ。
1年半かかったけど、ここまできた。
とまぁ、こんな感じに。この1年半は過ぎてきたわけだ。
けれど、まだまだ調整期間。
「共感の半径の長さ」に、気をつけていきたい。
比較的あの頃より元気ですよ。
ブレスレットも指輪もするのを忘れるくらいには。
ま、時々、部屋の中でもつけますけどね。時々ね。
ところで、この2週間で那覇空港の滑走路で不発弾処理、2度されてるんだよ、すげーでしょ。っか、よくもまぁ飛行機乗って沖縄来れるよね(笑)
(以下追記)
あ、あとね、この「共感の半径の長さ」だけど。
決して、「共感の半径の長さが長い=空気が読める」ではないよ。
あたし、空気は基本、読めないし、あえて読まないから。
場が楽しくなるもしくは、あたしの楽しいようにする振る舞いをするから。
これ大事。