SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

☆詩☆緋き城によせ と日記

緋(あか)き城によせ(2019年11月1日)

 

青 赤 白 緑

故郷(くに)想う鮮やかな彩(いろ)

全てを装う緋き城

抱(いだ)いて燃えた

琉球の「命(ぬち)どぅ宝」と「にぬふぁ星(ぶし)」

涙で消えた炎とともに

次に建てるは

沖縄(うちなー)の「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ

真摯に手をとり再起する

ひとつになれと緋き城

未来に育む肝心要の「肝心(ちむぐくる)」

哀しいことも乗り越えて

もう一度

真そーけーなんくるない

 

 

(わからない方言は全て意味を調べてほしいので、意味は書きません)

ーーーーー昨日のFacebook投稿ーーーーー

 

あの正殿は、それだけで、琉球漆器の極上品。
玉座琉球漆器、あの螺鈿

早朝、LINEの速報でショックを受けて。
ニュースを読みあさっては心ないコメントにあてられ。

んでも、建物自体の再建は実は何度も何度も行われてきたものなのよね。たしか。

あたしは、首里城の歴史にはそこまで詳しくないし。思い入れがすごくあるかと言えば、そうではない。
これは、沖縄に生まれておきながらゴメンなさいだけど。

でも、モノレールから見える首里城の風景は大好きだった。

伝統工芸士の娘に生まれて。
見る視点は、他と少し違うの。
琉球漆器。あの玉座
装飾品、展示物。
王の肖像。
あぁ、衣装、着物。
壁の細工。
県外との色彩の違い。

残っている、石の階段。

伝統的な手法と、現代手法を組み合わせた上での、存在感。

だったんだけど。

原因究明はもちもん、再建とかさ、この先いろいろあるけど。

地震で倒壊よりも。
不謹慎だけど。

最期まで鮮やかな赤が似合ったね。

どぅちむにーじゃないけどね、いろんな世を経て、それでも沖縄らしさは保ち続けて、立ち上がってきたうちなーんちゅの象徴のひとつだもん。

なんかさ、基地問題とかさ、内地(ここはあえて「内地」と使う)との考えの違いとかさ、んでもフレンドリーなご近所やすれ違うアーミーさんたちを憎めないから出でいけとも大声で言えなくてさ。(あたしは出ていけ!派ではないよ。かといって新基地は作る必要ある?って思ってる。移設でなくて、縮小がなぜかなわぬ。そういう約束でなかった?と思ってる。)
って。
もやもやしてるとこにさ。
沖縄県民が団結してやっていけること、つくってもらった気がしちゃうのよね。

おこられちゃうけどね。
こんなこと言ったら。

あああ、でも、あの玉座は惜しい。

みんなー、ついでに、沖縄の伝統工芸について、少し考えてみて。
あたしには、身近過ぎるんだけどね。

 

 

(追記)

団結の前に見つめ直し。本当に今のままでいい?

どうしたい?

県民みんなで考えたいね。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

批判とかあるのかなー。

あるかもね。

でもね、これはそのうち慰霊の日とか、書きたくなったときに書こうと思ってるから、置いとくけど。

沖縄と本州(本土?)は、やっぱり経てきた歴史が違うし、育んできた県民性は独特だと思う。

とくにあたしなんて、その独特な県民性の中でも独特な思考と家庭と過程の持ち主だから。

でもそんなあたしでも、この「首里城が燃えた」ってのは、なかなか、大きなダメージだった。

前日は書類提出とハロウィンしにモノレールで職場に行こうと思ってたけど、首里城見えちゃうからって、当日車に変えたくらいには。

職場のみんなも「喪失感」と。

んでもほんとに思うんだ「どぅちむにー(曲)」じゃないけど。

どんな世の中でも「うちなー」は失わなかったはずなんだ。

だから、何かのきっかけにしなきゃ。

首里城、かわいそう。

何かのきっかけにしなきゃ

きっと、何かのきっかけなんだから。


ちなみに世界遺産なのは、城趾であって、再建された建物は含まれないよ、確か。

消火で「全然水かけれてないじゃん!」とかあったけど、消防の方も絶対に必死だったはずだから。

その場に居ない人や本当に理解できない人が批判するのはおかしいよね。

味覚音痴が味の批判してもね。