SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

◯論◯観察からの推察は無益じゃない2

 https://shilisu.hatenablog.com/entry/2019/10/08/021041


人間関係の話でしたね。

ある人物を観察する。ある人物について考える。ある人物をおもんぱかる。ある人物を見抜く。

結果は見抜けなくとも。ある人物について考えること。
人間関係って、これが一番大事だと思うのです。
(ここまで書きました)

ただ、やりすぎると。あたしのように病気になったり、尽くしすぎたりするので。それは、ほっといてください。

ただ、良く気のつく人間になります。
あと、共感力が上がります。

共感力って大きい。
共感力のない人物はいろんな意味で独善的。自分1つの考えしかできないから。

で、ここが、一番大事ですが。

「自分のことが理解しやすくなる」

まぁ、正直「わかってるー?」って聞かれるとどうかな?とは思いますが。今は、カウンセリングのおかげもないわけではないですが。

自分が、憧れたり、生き方が素敵だなと思う人。
その人がどう考えるだろうか?ってだけで、「自分」の方向性が少し見える気がします。

ちなみに。
あたしが、憧れる、というか、「いいなぁ」となるのが、吉本ばなな「哀しい予感」のゆきのさん。
気になったら、読んでみてくださいね。

はなっから、ゆきのさんにはなれません。
全然タイプが違うので(だから憧れる)。

でも、今、休職に入って。
「やってみたいな」と思って。ゆきのさんを意識して生活してみました。
部屋で傍若無人。外では地味に(これがあたしはできない)。
プリンをボウルで食べる、ラフな寝巻き姿がたまらなく綺麗みたいなのは、客観的にみてはないので、わからないですが。

たまらなく、おもしかったです。その生活の出来なさが。
ただ、あぁ、願望としてはこういうことを思っていて。やりたいんだな、憧れてるんだな。

「自分がこう(ゆきのさんと反対)だから」って。

自分のことを理解できるツールとして利用できました。

そしたら、観察からの推察は無益じゃない。
思いました。

ちゃんとした論でないかもしれませんが。
はい。

ホントはもっと書きたいことがあるけど↓例えば、、、。

「察する」ってのが、どれだけ難しくて、他人に求めるスキルとしては高いものなんだと伝えたいとか。

コミュニケーションツールとして言葉や文字を持った人間は、それらを使って、コミュニケーションをとるべきで、観察からの推察ができるスキルを身につけている人間は少ないとか。


そんな感じですが。


うまくまとめられないので。

以上です。