SHILISUのすとれーじぼっくす

詩、文章。日記。書いてる人は適応障害。抑うつ状態で休職してましたが復職しました。

○日記○ すぷんへの課金

娯楽というか、このコロナ渦で、外に出ることが少なくなって、存外にお金を使う先が減っていたため、すぷんに対する課金への抵抗が全くない。

いわゆる推し活、推し事、状態である。

ただ、やってみて分かったのは、やっぱり、それらは、日々のストレスや鬱憤を晴らすための活動として、楽しまれるものであるし、その対価としての出費であると考えると、家計的には変化がない。

そうか、こうやって成り立つものなのか、なんて思ってみている。

ただ、金銭感覚の異なる人たちには圧倒される。

久し振りに「札束で殴る」という表現を自分でも使っていて面白く思う。

ただ、基本的な生活の成り立っている人がやるべきものであって、推しや応援したい人物にいくらも入らずに運営にだけ持って行かれる、課金は推し活としてはどうなんだろう??

もちろん運営があるからこその推し活かもしれないけれど。

ある程度は推しに行かなければ、それは応援といえるのかわからなくて。

少しばかり、気になるお年頃です。

数字というか、なんというのでしょう、あたしは目に見える状態でのキャッシュにこだわっている部分が合って、クレジットカードの類を持っていない。電子マネーの類もあまり使用しない。

実際に目に見える状態の方を好むからだ。

その方が気にかけて見ることができて、自分がどのくらいの財力を持っているかがわかりやすい。資産運用の方法なんてのは個人で違うが、「くるってるなーーーーー」「それとも本当に価値観が違うのかしら」となることが最近出てきた。

面白いもんである。

ただ、何気に8月以前よりは使う予定がなくなったので、少しばかり自分の実になるように貯蓄に回すのもありだなぁと思うのです。

 

はい。

そんなしりすでした。

○日記○9月が来たね

この日がやってきた、9/1だ。今年も残すところ4か月です。

2/3は終わってしまったと。

不思議な気分です。

なんだかんだと、夏休みがうまく休めたのかなんなのか。

 

コロナウイルスの影響が、僻地勤務のうちにもひしひしと押し寄せてきています。

なんだかんだと、分散というわけでもなく、自宅待機の生徒がいる状態で。

今の問題はオンライン授業にうちの職場が慣れてなかったということですね。

それゆえのパタパタが半端ないですね。

これに関しては前回の職場はしっかり対策していたなぁなんてことを考えます。

なんだかんだと今の世代というか時代はやはりオンライン授業ですのようですね。集団行動の有無について考える機会になります。

大事だとは思うのですが。集団の中で自分の位置を画一して過ごすというのはなんだかんだ社会に出ていくうえでとても大切なスキルですからね。

それにしても、今回の職場の生徒ののびのびさにはおどろきます。

中にはいろいろ考えている生徒もいるのですが。

すごくのんびりしているというか、悪い意味で言うと危機感がない。

でも、いい意味で癒されます。

その分、支援は必要ですが。

 

うちの職場には、今、子ヤギが4頭います。すごくかわいいですなんなら、

一匹は視力がわるく、なんというか、耳と光だけで生きているようで、一人の職員にべったりです。

が、今日はあたしから絡みに行きました、

生後1っか月?でももう角が生えているのですよ。

面白くないですかかわいいです。今度、画像を添付しますね。

 

なんかカンダと楽しんでいますから。ただ、すぷんの臨マネ先をがんばらせてくれる配信者にあうとありがたいことです

○日記○ すぷんのはなし

人間関係とは不思議なもので、すぐにつながって、いきなり深くなって、そして思ったよりも簡単に切れていってしまう。

その簡単さに、自分でもびっくりしてしまう。

今回はその最たるものだったと思う。

自分でもびっくりする。そして、おどろくほど、今はすっきりしている。

周囲の助けのおかげともいう。ほんとにありがたい。

 

みんながきちんと理解してくれて、そのうえで、誰にも影響のないようにふるまってくれている。

明日には、もともとのすぷんの垢を消そうと思う。

しりすの垢だ。

そうそう、あたしにアカウントを消せと言っていた誰かさんはどうするのだろう。驚きそうではあるが。

消した後に地味に探されそうである。

こわいこわい。先にブロックしておこう。

 

新しいアカウントの名前は、すぷん内での弟たちが考えてくれた。

やっぱり「海」は外せなかったらしいのと、あたしが歌うからだろう「奏」という案が出た。「波」なんかもあったけれど。

「奏海(かなみ)」になった。

どうせなので、ツイッターのアカウントごと消すことにした。

 

しばらく、かなみで動いているが、やはり、みんな「しりす」と呼んでしまうらしい。

わかってはいるけれど。慣れてもらわねばであるw

まぁ、「しりす」でもいいのだけれど。

ばれたり、もう呼んでほしくないとか。そういう人もいるから。

それを考えるとである。

 

まぁ、ここに書いている時点ではと思うが、いうて、あたしのこのブログを読んでいる人も少ないというか、ほぼ皆無なのを知っている。

たまには読んでほしい場合があるのだが。

いいか。

 

「声と声でつながるアプリ」とはよく言ったもんだ。

 

裏ではいろいろ言われているんだろうなとは思いつつ。

なんともなぁ。(いうて、あたしの方でもいろいろ握っているし。つぶされにかかったらつぶしにかかるだけだし。)

 

さて、どうなるでしょうね。

とりあえず。あしたの何時に引退枠をしようか。それだけですね。

 

○論○ 発想力はあっても行動力は

 好きなラジオ番組の一つに「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」がある。

そのなかで出会って、すごく共感できた言葉がある。

会社には「口だけの人(発想力は豊かだけど実行力が伴わない)」が会社には居るという言葉だ。

発想力はあって、アイディアを出す。可能だか不可能だか関係なく、ポンポンとアイディアを出すだけ出して、自分で実行することはなく、周囲にまるっと投げる。そんな存在が会社にはいるという内容だ。

確かに、それはそうかもしらん。そして、ではそれ以外の人はどうなのかというと、単純にその意見に振り回されるか、打開策を練って、案をブラッシュアップしたり、実行可能なものにするように動くのである。

そしてかくいう、発想力のあるタイプは、ほぼ一律に行動力は伴わないと、そういうことであった。

これはこの回を聴いた翌日にはフェイスブックで話題に上げた気がする。

それこそ周囲になぜかあふれていたからだ。

可能、不可能を関係なくぽんぽんと思いつく端からあげてなげて、それでいて、行動にはうつさず、「面白いと思うけどな」「楽しいと思うけどな」で終了なのである。

なんともな、めんどくさい。

そのアイディアにふりまわされて、大抵、数日の間に二転三転されたち、予告のない行動に対応して動かなければならないからだ。

自分がその立場であるので、なんとも息苦しく、かつ首を何度も何度も上下させていた。

そういう人は肝心な時に行動はしてくれないのである。

何ともなんとも。

両方ある人は素晴らしいと思う。そして両方を兼ね備えている人は周囲を見る能力にもたけていることが多いので、仕事をふるのが本当にうまい。

そんな先輩方が時たまいらっしゃる。

後輩にだっている。

ただ、何故でしょうね。

爪を隠すわけではないけれど、そういう方々は表に出てくることはないですね。

面白いなと思いました。

いいやでも、ほんとにいるものですね。

「発想力」に「行動力」の伴わない方。

 

☆妄想日記☆ 平日の人魚

人魚の鱗と髪の色の組み合わせて考えて遊ぶことがある

一番好きなのは、鱗が青で、髪がピンクの組み合わせだ。

ただ、一番いいのかもしれないと思っているのが、鱗が茶色で髪が水色だ。

できれば人魚の髪は長くあってほしいし、鱗だけでなく、鰓も、背びれも、必要ならば背びれだってあっていい。

そんなきれいな顔をしていなくていい。

ただ、鱗はつややかに、大きく、髪は長く波打っていてほしい。

そんなことを考える。

おとぎ話の人魚は胴から下を人間にしてもらっていたが。

できれば、海に恋をして、人間が人魚になるような物語を想像したい。

声の代わりに鰓を手に入れるのだ。

足の代わりに鰭を手に入れて。

それで、水中に入る。もちろん、その時考えている好きなカラーリングの鱗と髪の色だ。

でも、結局は声を手放してしまって、水中で呼吸はできても、海に想いを伝えることができないのだ。どんなに包まれていても、包むことはできなくて、想いを伝えることができない。想いを伝えることができない上に、海は海が包み込んでいる命全てのもので。

独り占めできなくて。

苦しくて苦しくて、どうしようもなくて。

水中で息ができるようになったのに、切なさで息苦しくなって、どうしようもなくて涙にくれる。

人魚の涙は真珠だけでなくて鉱石になっていって、エメラルドやサファイアオパールの欠片が海中にころりころりと落ちていくのだ。

 

ここまで想像して、いつもより早めに起きてじっくり淹れることのできたコーヒーとミルクをカフェオレボウルに注いだ。

ほの温かいというかぬるいカフェオレはバターを塗ったばかりのトーストによく合う。

今日は仕事の後に水族館に行く予定だ。

大きな水槽の中で泳ぐジンベイザメにマンタ。たくさんの魚を記憶の中から引っ張っていた。存外に楽しみにしていたのだなと、そんなことを考える。

人魚姫の物語が好きだ。

というか、人魚を想像するのが好きだ。

特に、、、(最初に戻る)

 

 

 

 

 

 

●記録●コロナワクチン接種二回目③

20時時点の体温が37.5℃でした。

昨日の夜から少しだけ微熱37.4℃、体調というよりも、おそらく昨日も書きましたが、気持ちの面でへらってしまい。ずーーーーーーーーーーーーーっと寝てました。

途中おきてご飯を食べて、ねて。

体温はかり、体調の変化を気にする。

いって、ほんとに何も変わらなくて、接種部分がかゆいくらいで。

それは日焼けもあって我慢するしかなくて。

んんんんんnと過ごしていました。

ただ、結局、副反応らしきものはなくて、微熱がなんとなくあがっているのか?くらい。

一説では、そういう人は、知らないうちにコロナウイルスにかかっているという話があるみたいですね。すでに抗体ができているという。もしかしてあたしそうだったのかしら?なって思ってみたりして、難しいところですね。

 

なんだかんだと、心の疲れていた時期に体調をくずしたり、普通にしていましたからね。

そんな中思うのは、やっぱり体調というか、気持ちの面などでを保つならば朝の日光を浴びるのはとても大切なことですね。セロトニンの分泌を助けますからね。

セロトニンは本当に大事。

増やす用のお薬も飲んでいるけれど朝に起きることの大切さを休職中に知りました。

 

しかし、明日の体温は気になるところ。

上がるのかしら?

どうなのでしょう。

 

●記録●コロナワクチン接種二回目②

コロナワクチン接種2回目の2日目

熱が出るかな、気持ち悪くなるかな?いろいろ考えておりましたが。

結局何が起きるわけもなく。

1回目のような接種した腕の筋肉痛も程度が小さくて。

むしろ日焼けの方が気になるという始末。

あは、ただ、接種部分は少し熱を持って少し腫れてかゆいです。

一応いつもと違うことといえば、体温が一瞬37.4℃まで上がりましたが。

あたしの平熱は36.8~37.2℃なので微熱になるかならないかというところですね。

あと、女性的な周期的なものがやってきまして。

おそらくそれが相まって。ずーーーーーーーっと寝てました。

ほんとは久しぶりに読書にいそしみたかったのですが、あ、でも半分は読めましたね。

1冊読み切るつもりだったんですが。

おそらくいろんなお薬の副作用かと。

ワクチン接種の副反応ではなく、薬の副作用だなんて少しウケました。

あぁ、周期的なもののせいで?夜に一気にメンタル面が下がってしまいまして。

すぷんのマネ先のプチイベントにマネとして参加することもできず。

途中全てハー落ち。ほんとは寄り添いたかったのですけれど。

開会式後、少しだけコラボに上がって話すことができましたが。いかんせん声がいつもと違うので。今度は気遣われすぎてしまい。

ごめんなさいでした。

とりあえず。コロナワクチン接種2回目、人による副反応は本当にそれぞれであることは痛感しています。